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1959年 埼玉県秩父市生まれ、熊谷育ち、上尾市在住。
早稲田大学から新聞社に入社、整理記者、取材記者を経て、報道カメラマンを経験。
日本写真家協会(JPS)会員
日本霊長類学会会員
科学ジャーナリストの会
2001年 死去、享年42才。 |
●コンテスト受賞など
【写真記者協会 協会賞(大賞)受賞】
1994年度、日本で初めて世界遺産に指定された、青森・秋田の両県に広がる「白神山地」のブナ林の実態や周辺の生活や民族、文化、自然保護のあり方などを写真と記事で新聞連載した「世界遺産・白神山地の四季」が「写真記者協会協会賞(大賞)」を受賞。大賞の該当作品が出たのは4年ぶり。
【ナショナル・ジオグラフィック日本フォトコンテスト入賞】
1998年、冬、サルが雪面から枯れ枝に飛びついた瞬間をとらえた作品が評価される。
【報道写真展ポスターに選ばれる】
1995年3−5月、一連のオウム事件で山梨県上九一色村強制捜査の際、大量の警察官らが、迷彩服に防毒マスクを付けてサティアンを捜索する写真が「95年 報道写真展」のポスターに選ばれる。また、新聞社で写真集を発行、表・裏表紙など写真多数掲載。
【その他の賞】
1999年、環境フォトコンテスト(環境庁後援)入賞。
1997年、富士フォトコンテスト入賞。
●写真集など
12年間、ライフワークで撮り続けている野生のニホンザルの群れをテーマにした写真集「おサルちゃん−きみに会いに来たよ」を小学館から出版。
シンラ(SINRA=新潮社)、日本カメラ、森の新聞・ニホンザルの山(フレーベル館)、こどもちゃれんじぽけっと(ベネッセ)、幼稚園(小学館)、日本フォトコンテストなどに寄稿。
●写真展など
1996年10月ニコンサロンで写真展「冬を生きる野猿の親子−志賀・地獄谷からのたより」開催。
1997年3月−5月 紀伊国屋書店・新宿南店で「斎藤和幸写真パネル展」開く。
1997年1月−4月 京都大学付属病院など京都、大阪で写真展開催。
1997年4月 自然保護団体が私の写真を使い、子ザルのTシャツを製作。
1997年10月 NUTーTVのネイチャリングスペシャル番組で志賀高原「地獄谷のおサル」放送。
1998年8月 名古屋、秋田での「こどもの本 ブックフェア」で写真パネル展。
●新聞連載
地獄谷のニホンザルの中に、生まれながらに両手、両足の不自由な老メス猿「モズ」とその家族やサルの生態などを紹介した「志賀・地獄谷に生きる 老猿モズと仲間たち」(春夏秋冬)を社会面で通年連載。
●サルとの出会い
尾瀬や谷川など山歩きを趣味としていたことがきっかけで、12年前に野生のニホン猿に出会う。
以後、仕事のかたわら、休日にライフワークとして、長野県志賀高原の地獄谷周辺に生息する、群れの取材を始める。人間に一番近い動物が見せる、子育て、親子と家族の愛情、群れの強いつながり、何気ない子猿たちのかわいい仕草などにひかれ撮影を続けるように。いままでに100回ほど地獄谷や生息地の山、野猿公苑を訪れる。
特に、生後間もない赤ちゃん猿が、風に揺れる花や空を舞う蝶々、流れる川、初めて見る雪や氷など、目に映る自然界の様々なものに興味を持ち、恐る恐る近づき、体験、学習しながら、時折ビックリして母親に抱き着き甘える姿は、とても感動的で、「生きている命」を強く感じた。また、一日一日、時をへるごとに、たくましく、成長していく姿もとても興味深く、私にとっても、子猿同様、見るものすべてが新鮮だった。
また、僭越ですが、人間以外の地球上にいる多くの生物に気づかず(感じなくなり)、何事も人間の立場だけで考えがちになる今日、様々な生物が絡みあいながら、人間の社会・生活があるのだということを、猿の群れを撮影しながら、強く実感するようになりました。またひとつ、世界が広くなったように思います。
●主な海外取材
海外では、ボルネオ(カリマンタン)のオランウータン、マレーシアのホタルの群れ、民族などを撮影。
一昨年、約2カ月間、中国の西域、タクラマカン砂漠とシルクロード、チベットやコンロン山脈、パミール高原へ。砂漠や5000メートルを超える極地の自然や動物、ウイグル、カザフ、キルギス人など少数民族とよばれている多種、多様な人々の生活、文化、宗教、遺跡などを取材。
インドネシアの祭りと葬式(火葬、土葬、風葬)や民族、ケチャックダンス、猿(マカク属)などを撮影する。
1997年5月、返還前の香港へ。中国側にも渡り、町や人々の様子を取材する。 |